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障害者アートという取り組み

障害者施策は社会保障の中では、優先順位の高い施策だと考えています。しかし、障害者施策にも政策評価は必要でより必要な方々に、より有効な予算が行き渡るように、限られた財源を使わなければならないと考えております。

そんななかで、
私は障害者アートという分野に興味があります。

はじめて興味を持ったのは、宮城まりさんのねむの木学園のことを知った時です。
もう10年近く前のことだと思います。

ねむの木学園の展覧会では、多くの作品に心を奪われました。
純朴で、清々しい作品に心がほぐされた感覚を持ちました。

その時購入させていただいた作品(つとむ君作)が、今も自宅のリビングに飾られています。

障害者アート2

その後、滋賀県のボーダレスアートミュージアムNOMA
http://www.no-ma.jp
へインターンを連れて視察に行ったり
(滋賀県は障害者アートの歴史が長く、その取り組みも大変進んでいるのです)

亀岡市にある、みずのき美術館
http://www.mizunoki-museum.org
へ視察に行ったりしながら、

本市における障害者アートの可能性を模索しておりました。

また議会でも、平成22年の3月5日定例会や
平成25年12月6日定例会
で質問しています。

議事録検索はこちらでお願いします。
http://www.kensakusystem.jp/ibaraki/index.html

要は、障害者の方々の才能を積極的に評価したいということです。

この障害者アートは、障害者の作品の質が問われる側面もあり様々な議論がなされてもおりますが
障害者の表現に、単純に心打たれた者の一人として、大切に取り組みたいと思っていました。

また、ヨーロッパででもその作品が評価されたことが報道されていたことを知り(2012年の下記の記事が印象に残っていました)、いよいよ日本でも取り組みが進んで来るだろうと数年前から見守っていたところです。

「欧州で話題をさらう日本の障害者アート 2012.2.22」
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/34527


滋賀県立美術館の建て替えに伴って、たしか滋賀県はその歴史的な取り組みを生かして、障害者アートを柱の一つに置くということもどこかで聞いたことがあります。また、滋賀県は特徴的なアール・ブリュット推進事業を進めているようです。

滋賀県ホームページ
http://www.pref.shiga.lg.jp/a/kikaku/art-brut/artbrut-hassin.html



そうこう思っていたら、昨日の読売新聞の記事に障害者アートへの取り組みが載っていたので喜んでいました。
障害者アート

この記事によると、議連ができるていて
障害者文化芸術活動推進法案
の成立を目指しているとのこと。

立法化をすればいいと単純に思っっているわけではないですが、
障害者アートという分野が、社会のなかで一つの価値として認めれれていくことは歓迎したいと思っています。

本市においても、現実の難しい課題も受け止めつつ障害者アートの可能性を模索していきます。
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茨木市へ転入転出状況

昨日は茨木市議会と立命館大学政策科学部とのKJ法ワークショップ企画に参加しました。
私は「教育・芸術」というテーマで話し合いました。
固定観念にとらわれない議論を望んで「暴走族」とか「制度の中にいる人間」とか、訳わからない系のキーワードをたくさん出しましたが、時間の関係から議論が十分に深まらず。少し残念でした。

とはいえ、国際政治を研究している大学院生や哲学の教授などと話すことができて、硬直しがちな頭を柔らかくすることができたことが良かったと思います。

さて、昨日も大学院生と話していて人口減少について話題に上がりました。
過度に悲観することないという話です。
イギリスは6400万人、韓国5000万人、カナダ3500万人などを見ていくと、日本の国土なら1億人を超えていることがある意味では異常かもしれない訳です。
先日のブログでも、最悪のケースのの場合日本は8000万人くらいになるとされてるのですが、むしろその辺りを(どの辺りが適当かは議論が必要)想定して、地域から持続可能な経済モデルを地域から作ることが大事だと思っている次第です。

そのために乗り越えなければいけない壁は、明らかです。

①団塊世代の社会保障制度改革(持続可能な制度にすること)

②第2次ベビーブーム世代の社会保障制度改革(もう我々の世代は、こままの社会保障制度が維持されると確信していない)→地方議員は福祉施策を充実すことだけをミッションとすべきではない。本当に必要なことが本当に必要な人へ届くように選択と集中の議論をすることがミンションとなる時代だと思います。

③地方レベルで循環経済モデルをつくること(グローバル経済のバックアップ機能としての地域自立経済の確立)

④特にエネルギー・食料の自立を目指すこと

⑤その他先行きの見えない時代にに自ら考えて行動する力を育む人づくり

⑥行政のかたちを見直すこと→「摂津国」という文化圏を視野に広域自治体を見据えること


など、やるべきことはたくさんあると思います。

確かに、未来をあまり悲観しすぎるのは良くないと思うので、陽転思考で行動していきたいと思います。




で、今回のデータはまず「茨木市への転入出」についてです。

転出入データ

これを見ると東京を中心として関東方面への転出が突出しています。(いわゆる東京一極集中)
つまり、地元で稼げないということです。
で、先ほど行った地元で循環する経済モデルを地域からつくらないといけないということになります。

また、以外と茨木市には、近隣都市からの転入が多い。
京阪神で働く際には、茨木に住もうと考える人たちが一定数おられるということです。
これは非常にありがたい、子供の教育のためにすんでみたいと思っていただける環境は強みです。
ここの強みを伸ばす施策を打ちたいですね。




次に、「転入者像に関するデータ」をみてみます。

転入者像

茨木に転入した者の前居住地別の「転居のきっかけ」です。
大阪市からは20、30歳代を中心とした、結婚等をきっかけに転入が多くなっています。
また、高槻、吹田市からは、結婚と住宅確保をきっかけとした転入が多い傾向があるようです。

転入したい人が増えるための「まちのイメージづくり」が大事だと思っています。
茨木市は市民活動が活発だから、自然発生的にでなくもないですが

私は「文化」を活用した魅力創造をすすめます。

川端康成、文学、現代アート、教育などをキーワードに地域に定着する取り組みを進めたいと思っています。

人口シュミレーションと人口ビラミッド予想

前回の人口ビジョンに示された「人口予想グラフ」
今のままでは2060年(平成78年)には21万9千人まで減少するということでした。

同時に、人口ビジョンには良くなった場合の幾つかのパターンが示されています。


パターン④ 出生率が2030年までに1.8、2040年までに2.07になり、かつ、若者の移動率をゼロにした場合
パターン② 出生率が2030年までに1.8、2040年までに2.07になる
パターン③ 出生率が2040年までに1.8、2060年までに2.07になる
パターン④ このまま推移した場合(2014年合計特殊出生率である1.42のまま推移した場合)

ちなみに、合計特殊出生率が2.07にになって初めて、人口が維持できるとのことです

人口シュミレーション

茨木市としてのスタンスとしては、出生率の増加のために限られた財源でより効果的な施策を打つこと(子育て支援の拡充、労働環境の改善など、有効な施策が何たるかについては様々な議論があると思います)ですが、

私は、茨木市としては最悪を見越して考える必要があると思っています。

将来予想を甘く考えたいというのが人間だと思うからです。


実際に振り返ると、昭和59年に確定した茨木市総合計画作成の中で、本市は以下の人口予想をしています。

「3目標年次と人口 昭和75年(2000年)を見通し、昭和70年(1995年)に目標年次を設定。将来人口は70年に約31万、75年に約35万と推定している」

昭和59年(1984年)当時からみた、昭和75年(2000年)は今から見るとやや楽観的に見えなくもないと思います。
1989年のバブル崩壊まで、絶頂の日本経済の中ではどうしても未来を期待をしてしまうと思うからです。
現実に平成12年(2000年)の茨木市の人口は、約26万人。
当時予想された35万人からは、約9万人も少ない結果となっている訳です。

では、上記パターン①とパターン④の人口ピラミッドをみてみましょう。

人口ピラミッド

これをみると、最高に楽観したパターン④になって初めて、筒型になり持続可能な人口構成に近ずくことがわかります。
このまま推移するパターン①なら、なおやや逆台形になって先行きが不安な状況とわかります。

何れにしても、人口ピラミッド平成22年から考えて
第1次ベビーブーム、そして私も含めた第2次ベビーブーム世代が終わるまでは大変な時代が続くということです。

この私も含めた第2次ベビーブーム世代が、次世代に何を残すことができるかが問われていると思います。
次世代にツケを残さない。
次世代に持続可能な社会を残すために、今すべきことを議論する時期がきています。

茨木市 人口ビジョン

本年2月に示された「茨木市人口ビジョン」の冒頭グラフ。

人口推移01

要は、これから初めて人口が減るという事実。(もう減っている自治体もありますが)
(高齢化率の急増については別の機会にします)
つまり、人口が減るという重みをどれだけ考えられるかがポイント。

人口が減ると税収が減る、同時に経済活動も減少する。
今まで通りの施設整備を考えていたら、後で大変なことになる。
固定費を増やさないこと。固定資産を抱え込まないこと。

シュリンクする経済環境を見越して行政サービスを考えないといけない。
人口が減り、高齢者が激増し、子供が減少する。
経済のグローバル化の中で地域経済はますます格差が広がる可能性がある。

地域資源を使う。地域経済をまわす。地域経済から新しい価値を生み出す。
定常型の経済モデルを作らなければならないと思うのです。

自治体経営も当然厳しくなる。
広域連携を増やさなければならないと思います。
近隣自治体との連携を進める。できるところから、例えば、消防、ゴミ処理などからはじめる。
前向きな事業としては観光の広域化は必須。

広域連携の先には、政令市も視野に入れる必要がある。
その先に道州制があるから。

とにかく、これまでと同じ発想で政治も行政を進めていても確かな未来はつかめない。
一地方議員としてこの点を自覚して仕事をしていきたい。

縄文時代、茨木市中心部は海の中

郷土史関連の本を読んでいたら面白い地図がでていました。

縄文前期(約7000〜6000年前)の海岸線を見たら、茨木市中心部は海底です。
その本では次のように書かれています。
『今から7000年前の大阪湾は枚方付近まで入り込み、茨木市の中心部は当時海底でした。』

また同じ地図には縄文時代後・晩期の海岸線(約3000年前〜2000年前)もありこの時代には茨木市の牟礼あたりは陸地になっていることがわかります。

福井地域、安威地域の古代遺跡について調べると非情に興味深く思われます。


大阪湾古代地図

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プロフィール

mitsuo383

Author:mitsuo383
1971年4月11日生。亥年。AB型。おひつじ座。男。29歳茨木市会議員初当選。2期目に惜敗し4年間浪人する。その後連続当選を果たし現在3期目。自民党大阪府連青年局総務会長。前茨木市議会副議長。38歳のとき林英臣政経塾に学び、自身の志に日本を位置づける。地方から日本改新を進め、世界へ貢献する日本を目指し大河の一滴となって日々活動する。
少年時代はサッカー少年で朝から晩までボールを蹴っていた。スポーツ好きの目立ちたがりやで、小中学校で生徒会長になった。中学でもサッカー部に所属。新日本プロレスに夢中になり古館伊知郎の中継に胸を躍らせる。高校に入り突然変異。高2の物理の授業に心底感動し自然の美しさを追求出来る理論物理学者という仕事に憧れる。しかし理学部への受験は見事全敗。ひょんなご縁で大学は政治学科に入学する。しかし学問としての政治に魅力を見いだせずもっぱら図書館で乱読する。22歳、ご縁あって政治の現場にてお手伝いする機会を得、どっぷり浸かる。24歳、当時存在した松下政経塾京都政経塾4期生として政治の理想について学ぶ機会を得る。20代前半に経験した現実の政治には驚き、幻滅し、同時に相当の覚悟がなければ入るべきではない世界だと認識する。25歳大学を卒業する意義を見出せず中退。29歳の時、「信頼される政治」を本気で実現するため、茨木市議に挑戦し初当選。「信頼される政治」を実現するために、効果的な予算編成を実現するための事務事業評価の実施、情報公開を徹底などを提案した。また、真の保守政治を地域から実現すべく、永住外国人の地方参政権に反対の立場を明確にし、行き過ぎた男女共同参画社会に警笛を鳴らし、道徳教育という名の人権教育が行われている実態に疑義を訴えました。以上のような活動を続けた一期目、常に自分の中で考えていた事がありました。自分だからこそできる政策とは何か。政治家としての天命は何か。覚悟と本氣の志が明確でなかったため2期目落選。今思えば落るべくして落ちたと思う。31歳の時ゴッホの絵をみて芸術の力に打ちのめされる。芸術には人にとって必要不可欠なものだと確信。芸術を生かした政策をライフワークの一つと定める。また、落選中建設現場で職人さんたちと仕事をさせていただく機会を得た。親父が建設土木の一人親方だったので拾ってもらったのだ。私の祖父は大工で建築には近い環境にあったが、これまでは現場が嫌いだった。しかし、落選中に現場で仕事をしたとき、初めてものづくりの魅力に気づいた。職人の価値に気づいた。建築を勉強するため京都造形芸術大学の通信講座に通う。建築、ランドスケープ、まちづくりをライフワークの一つとする。38歳で、市議選に再チャレンジ当選。一期目と違い、私のテーマである「信頼される政治」の実現に加えて、芸術を生かしたまちづくり、自然と共生するまちづくりなど政治家としてのライフワークが明確になる。38歳、林英臣政経塾に関西五期生として入塾し、林英臣という人物に出会う。政治家として生きる上での、我が師匠を得たと実感する。林塾での學びにより、自身の天命を磨き、自身の目指す政策に「日本という主座」を腹に落とすことができた。林塾の學びは、自身の原点を掘り下げ、世界を見据える大局観を養い、自らの天命として本気でなすことを見定め、日々の行動に徹底して落とし込むことを明確にする學びだ。共に学ぶ全国の同志も、かけがえのない仲間だ。林塾での活動を続け、日本のために世界のために地域から行動していくと決意。茨木市の西の端である美穂ケ丘に在住。近くに世界的名建築である安藤忠雄の光の教会がある。人口減少時代の日本が目指す都市の姿は。都市と環境、都市と自然の共生だ。単なるハコモノをスクラップビルドするだけのリセット型経済政策ではなく、その地域の自然環境や人々の生業が循環するまちづくり(循環型経済)を取り戻す必要がある。世界を大局的に眺めると、現代は東西文明交代期であり、文明の衝突による混乱期だ。難民問題、イスラム国、危うい金融資本主義。世界は、文明的にも政治的にも経済的にも激動期に突入したと考える。日本でも決して未来は安心できるとはいない状況だ。少子高齢化の進展、人口減少の歯止めがかからず、近隣諸国との安全保障環境の悪化。経済政策も根本的には国力を回復させているとはいえない。成長戦略は国民一人一人の目標や生き方の指針には至らず、国民的に共有できる未来が示されず、将来への不安が払拭されないことが社会の活力を停滞させている。だからこそ、政治家として茨木市から行動を始める。世界の激動を見据えながらも、地域から日本を改新するために政治家として生きていく。自身のテーマである日本を主座に置いた「信頼される政治」の実現、「芸術、建築、まちづくり」を更に深く掘り下げて提案していく。我々を育んでいる日本国の自然、文化を大切にしながら新たな未来を切り開いていきたい。日々是好日。吾唯足知。平常心これ道。ご縁に感謝し迷いなき最期を迎えられるよう日々生きて参ります。

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