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松下幸之助「道」

最近何度も読み返している文章があります。
松下幸之助の「道」です。

政治の現場にいると「本当に大事なこと」を見失いかねない状況に出くわします。
そんな時自分の「道」を見つめなおします。
原点から考え直します。

私の政治の最初の原点は「信頼される政治」です。
リーダーが信頼されないチームでは、良いチームになるはずがない。
同時に政治家が信頼されなければ、いい町をつくるエネルギーが生まれるはずかない。
私の最初の原点から、29歳の時政治家を志し、皆様のご支援のおかげで当選することができた次第です。

あの時の原点は今もしっかり自身の志であります。自身の道を歩む指針の一つです。

松下幸之助 「道」
自分には自分に与えられた道がある。天与の尊い道がある。どんな道かは知らないが、ほかの人には歩めない。自分だけしか歩めない、二度と歩めぬかけがえのないこの道。広い時もある。せまい時もある。のぼりもあればくだりもある。坦々(たんたん)とした時もあれば、かきわけかきわけ汗する時もある。


この道が果たしてよいのか悪いのか、思案にあまる時もあろう。なぐさめを求めたくなる時もあろう。しかし、所詮はこの道しかないのではないか。あきらめろと言うのではない。いま立っているこの道、いま歩んでいるこの道、ともかくもこの道を休まず歩むことである。自分だけしか歩めない大事な道ではないか。自分だけに与えられているかけがえのないこの道ではないか。


他人の道に心をうばわれ、思案にくれて立ちすくんでいても、道はすこしもひらけない。道をひらくためには。まず歩まねばならぬ。心を定め、懸命に歩まねばならぬ。


それがたとえ遠い道のように思えても、休まず歩む姿からは必ず新たな道がひらけてくる。
深い喜びも生まれてくる。

(松下幸之助著 『道をひらく』PHP出版より)

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「長(おさ)、頭(かしら)となる者の心得」

師匠の林英臣先生が平成26年秋に示された八箇条です。
本年、事あるごとに目を通しています。

「長(おさ)、頭(かしら)となる者の心得」

一、無私であること

中心にいくほど我欲を捨て、誰よりも無私公欲となるのが日本的組織の基本形
なり。無私の心は、愚直な生き方を導き、素直な心を生み、衆知を集める器と
なる。

やろうとすることが公の為であっても、単に「自分の世界(集まり)を作り
たい、広めたい」という程度では、人物として高(たか)が知れているので
ある。
※中心力は全体に結ばれる↓

二、全体を見渡せること

人(人事)・物(場やシステム)・金(資金)を整えることをはじめ、組織に
関わる一切を我が事として把握する全体観が欲しい。

トップとして人類の幸福を求めるときは「宇宙の中の地球」を、日本の繁栄と
国民の幸福を願うときは「世界の中の日本」を、地域・会社・組織などを発展
させたいときは「日本の中の我が地域、我が会社、我が組織」を、自分を成長
させたいときは「宇宙、世界、日本、地域、会の中の自分」を意識しよう。
※全体を観られる器量が威厳を生む↓

三、対外的な威厳があること

対内的に支持されることは当然のことながら、対外的に威厳を発揮出来る存在感
が無ければ、組織を力強く率いることは出来ない。それは高圧的に威張ること
とは違う。一統を背負っている責任感(自覚)からくる威厳と貫目が、年輪の
ように養われているかどうかだ。
※威厳の元は深い原点認識にある↓

四、原点を認識していること

創業者の志や願い、組織の出発点、日本国の建国の精神などを認識し、それを
腹に据えることで、ぶれたり、ずれたりしない「信念の軸」を確立しよう。
※原点から方向性が見えてくる↓

五、方向性やビジョンを示せること

来年は何をするのか、3年先・5年先にどうなっていたいのか、50年後・
100年後にはどうありたいのか。それらを指し示す大志や、壮大な夢を掲げて
こそ部下は熱くなれる。

人は苦労では潰れないが、苦労の意味(坂の上の一筋の雲)が分からなくなると
へこたれてしまう。方向性やビジョンは、裏返せば苦労の意味に他ならない。
※方向性を示して先頭に立つと共に、部下の横に寄り添う人情味が必要↓

六、部下や配下、弟子に対する人情味があること

部下が幸せなときは共に喜び、悔しいときは一緒に泣く。そうして、自分のこと
を気に掛けてくれているという、人情味を感じたときに士気は上がる。

人は自分を分かってくれる人に付いていくのだから、もっと下の者の努力に感謝
し、苦労を思い遣り、労(ねぎら)いの言葉を掛けよう。気配りを、決して
軽んじるようなことがあってはならない。
※但し、ただ誉めたり労ったりするだけでは、たちまちなめられる。人情が
通じるのは厳しさがあってこそ↓

七、小さいことを見逃さず、細かいことを察する「気付きの力」があること

挨拶が出来ているか、返事の声がしっかり出ているか、掃除がきちんと行われて
いるか。そういう小さいことをもっと気にし、細かいことに厳しくなるべきだ。
それは、どうでもいいことにこだわっているのとは違う。

組織崩壊の致命傷は、最初は小さなことから生ずる。当たり前のことが定着する
まで徹底し、そこから国風・社風・塾風などを起こそう。

そもそも理想があれば現状に不満を感じ、不満を感じたら黙っていられない
のが、責任ある者の姿勢だ。(様子見が必要なときもあるが)摩擦を嫌って
物言わぬというのは、優しさや思い遣りとは全然違うところの、ただの無責任
ではないか。無関心で愛が足りないだけと言ってもいい。
※全ては言葉で進められていく↓

八、切れ味のいい言葉を出せること

いくら流暢な聞き易い言葉であっても、相手の心に突き刺さる威力が備わって
いないようでは、折角(せっかく)の雄弁も、その場限りのものとなる。
誰からも非難されないよう当たり障りのない言葉だけ選んでいたら、結局何も
変えられぬではないか。もっと言葉を鋭利に磨ぎ、言葉に(いい意味での)
カドを持とう(政治家は多少難しいだろうが…)。

甲さんに会ったら甲さんの耳に心地いいことを言い、乙さんの前では乙さんの
気に入ることだけを言う。そういう丸さは、やがて人生を転ばせる(転落させ
る)元となってしまう。長や頭には、終始一貫、変わらぬ言霊が欲しいのだ。

付:以上が満たされているトップは滅多にいない(筆者の知る限りでは
松下幸之助氏のみ)。足りないところは側近に任せ、参謀に託したらいい。
何が出来ていなかったかに気付くだけでも、やがていい方向への変化が起こるに
違いない。

自分史概要

大阪万博の次の年。昭和46年に茨木市で生まれた。両親の愛情を受け育ったと思う。
お稚児

少年時代はサッカー少年で朝から晩までボールを蹴っていた。スポーツ好きの目立ちたがりやで、小中学校で生徒会長になった。
小6 サッカー少年
中学でもサッカー部に所属した。テレビでは新日本プロレスに夢中になり古館伊知郎の中継に胸を躍らせスポーツ少年一筋だった。
しかし、高校に入り突然変異を起こす。高2の物理の授業に心底感動し自然の美しさを追求出来る理論物理学者という仕事に憧れる。しかし理学部への受験は見事全敗。たまたま受験した二次募集で大学は政治学科に入学する。しかし学問としての政治に魅力を見いだせずもっぱら図書館で乱読する。大学の授業よりバイトに明け暮れる。引越し、コンビニ、土方、ガードマン、新聞配達、イベント裏方、テレアポ、物置組立職人、ガソリンスタンドなど、肉体労働系ばかりだった。そんな中に、選挙を手伝うご縁があった。
ガードマン
22歳、ご縁あって政治の現場にてお手伝いする機会を得、どっぷり浸かる。政治の現場で人間が織りなす姿に、生々しさと魅力と怖さを感じた。
山科市議選
24歳、これも縁あって当時存在した松下政経塾京都政経塾4期生として政治の理想について学ぶ機会を得る。心も定まらず志も腹に据えられない若造に松下幸之助は消化しきれない。大変貴重な学びはできたが、エリート感が漂っていた雰囲気に馴染めずにいた。
京都政経塾

将来は政治家になりたい。漠然と頭の片隅には持っていたが、生半可な気持ちで関わると利害関係の渦に絡め取られることが想像できたので簡単に政治家になるとは口にすることができなかった。
29歳の時、縁あって地元の代議士候補とつながる。不思議なもので、京都時代の人脈が茨木市につながった。一切の作為のない流れに、己の覚悟を問う。よし、本気でやってみよう。「信頼される政治」を本気で実現するため、茨木市議に挑戦し初当選する。信頼される政治とは、真面目に生きている人たちが報われる政治。正直者が馬鹿を見ない政治だ。現場の仕事をしているとき痛感した。公共工事の入札実態の不条理さに。真面目に汗かいて働いてる人たちに、答えられる制度と言えるのかと。
一期目
一期目は自分にとっての「信頼される政治」を実現するために政策を提案し続けた。例えば、効果的な予算編成を実現するための事務事業評価の実施、情報公開を徹底などだ。また、真の保守政治を地域から実現すべく、永住外国人の地方参政権に反対の立場を明確にし、行き過ぎた男女共同参画社会に警笛を鳴らし、道徳教育という名の人権教育が行われている実態に疑義を訴えました。以上のような活動を続けたが、腹の底から力が湧いてこない感覚が拭えなかった。自分だからこそできる政策とは何か。政治家としての天命は何か。考え続けていた。
覚悟と本氣の志が明確に定まった状況には至らず、結果的に2期目落選。今思えば落るべくして落ちたと思う。落選中の31歳の時ゴッホの絵をみて芸術の力に打ちのめされる。芸術には人を元気にする力がある、芸術は街を元気にする力がある。自分は芸術を生かした政策をやりたいと強く確信する。また、落選中建設現場で職人さんたちと仕事をさせていただく機会を得た。親父が建設土木の一人親方だったので拾ってもらったのだ。実は、私の祖父は大工で建築には近い環境にあったが、これまでは現場が嫌いだった。しかし、落選中に現場で仕事をしたとき、初めてものづくりの魅力に気づいた。職人のかっこよさに気づいた。
現場仕事
建築を勉強しよう。京都造形芸術大学の通信講座で建築を勉強した。建築、ランドスケープ、まちづくりを勉強し始めた。38歳で、市議選に再チャレンジ。無事に当選する。
福井祭り
一期目と違い、私のテーマである「信頼される政治」の実現に加えて、芸術を生かしたまちづくり、自然と共生するまちづくりなど自分がしなければならない分野が明確になり、議会活動も充実した。また、保守政治家として、当時市が検討を始めた自治基本条例には反対の先頭に立ち、市長の改選もいい形にすることができたため実現を見送らせることができた。

38歳、林英臣政経塾に関西五期生として入塾し、林英臣という人物に出会う。政治家として生きる上での、我が師匠を得たと実感する。林塾での學びにより、自身の天命を磨き、自身の目指す政策に「日本という主座」を腹に落とすことができた。
伊勢禊

林塾の學びは、自身の原点を掘り下げ、世界を見据える大局観を養い、自らの天命として本気でなすことを見定め、日々の行動に徹底して落とし込むことを明確にする學びだ。共に学ぶ全国の同志も、かけがえのない仲間だ。林塾での活動を続け、日本のために世界のために地域から生きていく決意を得た。
九州講座
茨木市の西の端である美穂ケ丘に住み、そこは安藤忠雄の光の教会の近くだ。また、阪大工学部の敷地に隣接した場所なので、大学図書館などで自身の柱である建築、まちづくりを学ぶ。人口減少時代の日本が目指す都市の姿は。都市と環境、都市と自然のあるべき関係などを模索する必要性を感じる。単なるハコモノをスクラップビルドするだけのまちづくりを進めるだけでは、未来は開けないと考えている。
富岡鉄斎
また、芸術では、38歳のときに茨木市出身の現代美術家ヤノベケンジの水都大阪にてボランティアを経験し文化を切り口に地域から日本の再生を目指すことを見据えている。
サンチャイルド

世界を大局的に眺めると、現代は東西文明交代期であり、文明の衝突による混乱期だ。中東は混乱は増す一方で、欧米への難民問題に波及し、イスラム国の勢力は拡大し、危うい金融資本主義は将来の安定を約束せず、中国では不況の兆しが見え始め、南沙諸島での政治的緊張感も増す一方だ。世界は、文明的にも政治的にも経済的にも激動期に突入したと考える。世界史的に見ての大激動期に、日本の未来は安心できるとはいない。少子高齢化の進展、人口減少の歯止めがかからず、景気回復が多くの国民にまで実感できず、地方の疲弊に解決策は見えず、近隣諸国との安全保障環境の悪化している。根本的には国力を回復させ、この国の目指すべき将来像が国民に共有されるまでには至っていない。だからこそ、政治家として茨木市から仕事をしたい。世界の激動を見据えながらも、地域から日本を改新するために政治家として生きていきたい。自身のテーマである日本を主座に置いた「信頼される政治」の実現、「芸術、建築、まちづくり」を更に深く掘り下げて提案していきたい。我々を育んでいる日本国の自然、文化を大切にしながら新たな未来を切り開くための政治を進めたい。
日々是好日。吾唯足知。平常心これ道。ご縁に感謝し迷いなき最期を迎えられるよう日々生き抜く。

僕が市会議員として何を目指すか

こんばんは。上田ミツオです。
 
昨日は現在受講している
「林英臣政経塾 政治家天命講座 第5期」
に参加しておりました。
 
受講生がみな、自分の「原点・大局・本気・徹底」を発表しました。
自分が政治を志す原点
自分は政治家としてどこまでを我がことと思えるか
これさえ実現できれば死んでもいいといえるくらいの志は
その志のためにどのように活動していくか
を発表しました。
 
先輩塾士と林先生に講評をいただき、もう一度自分の原点を整理し深める必要を実感しました。
 
僕の原点は
建築現場の経験から「まちづくり」を深めたいことと
生きる元気をもらっている芸術を「まちづくり」に活かしたいこと
 
この原点から、一歩進めて考えました。
僕は行政視察などで地方の都市に行く機会がありますが
どこの地方の駅前も同じような駅前ばかりです。
 
地域の特性を活かしていたり、自然が広がっている個性ある駅前を
あまり見たことがありません。
この金太郎飴のような都市政策や
資本主義の論理だけで決まる都市開発に強い問題意識を持っています。
 
この「まちづくり」というテーマは、いいかえると
美しい日本をつくる
美しい日本の国土をつくる
このような志をたてて政治家として活動していきたいと、改めて実感しました。
 
 

林英臣政経塾5期生で学んでいます!

こんばんは。上田ミツオです。
僕は今年から「林英臣政経塾 政治家天命講座」にて
日本のために人生を賭けようと思っている同志と学んでおります。
 
今日はその講義をきいたら毎回提出する文章を見ていただきたいと思います。
僕の政治へのスタンスを感じていただけると思います。
 
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茨木市の上田光夫です。
毎回かけがえのない時間を刻ませていただいております。
ありがとうございます。
(気づき)
明治時代の国是は3つだった。
①文明開化・・・日本文化(封建社会)より西欧文化(近代社会)は進んでいるので
        盲目的に西洋文化を取り入れる風潮
②富国強兵・・・軍隊の近代化
③殖産興業・・・経済の近代化
この3つの根底にあるのが「西欧化(近代化)」である。
西欧文明をを範とし追いつき追い越すことが目的であった。
西欧化の過程で戦争をしてきた。
最初は戦争に勝利し西欧列強の一員になることができた。
が、この国是の結末は敗戦という結果で幕を閉じる。
(明治元年から昭和20年まで、この間77年)

敗戦後の国是は一つ。
①戦後復興
敗戦後焼け野原からたちあがった我が国民は
日本を再生させるべく懸命に働いた。
この国是は明治時代の③の殖産興業とつながっていると思う。
明治時代の国是②はアメリカの占領政策で骨抜きにされ思考停止を続けてきた。
明治時代の国是①は未だにその様な風潮が見られる。昭和の時代はそれがアメリカ文化だった。
この戦後の国是は1980年代に日本が世界有数の経済大国になって実現した。
しかし、80年代後半のバブル経済の崩壊以降、日本社会は混迷から脱出できていない。
そこで、あらたな国是を定立する必要性がある。
その前提として現在「3つの転換」があり、この時代の流れから3つの国是を定立する。
①世界文明の転換⇒西洋文明から東洋文明への転換
 今後転換していくであろう東洋文明の本質は、部分観ではなくて全体観である。
 部分の対立から部分の調和へ、そして全体の共生へとつながる。「共生文明の創造」
②社会秩序の転換⇒国民の意識レベルを向上させる「高徳国家の建設」
③資本主義の転換⇒世のため人のために働ける「公益経済の確立」
このような新たな国是をしっかりとたてて、
90年代から20年間続いている混迷の時代を乗り越え
世界のために活躍する日本を創る。
(置き換え)
この文章を書くに当たって、日本の国是の流れについてじっくりと考えることができました。
正に、現在が混迷の真っ只中にいることを自覚できました。
そこで、新たな国是を定立して活動していくにあたって、
僕自身はどの国是のどの分野で生きていくべきなのか。自分の天命なのかを考えております。
その考えを次回の「原点・大局・本気・徹底」で発表したいと思います。
今回学んだ日本の国是の変遷でやはり気になるのが
明治の国是である
①文明開化  です。
明治時代に鎖国日本が西欧文明(近代文明)に受けた衝撃(トラウマ)が未だに
僕たち日本国民の根底に流れているように思えてなりません。
それが戦後はアメリカ文化だったということです。
奈良時代いやそれ以前から、日本は外国の文化を取り入れながら自国の文化を発展させてきました。
僕たちはことさらに外国文化を奉らなくても、否定をせず破壊もせずただ受け入れて新しいものに変換する
しなやかな感性がある国民だと思っています。
それはこの豊かな自然と年々彩りを変える四季を持つ気候によるものかもしれません。
しかし、この日本の強みをもう一度自覚して新たなものを生み出すことが大事だと思います。(抽象的ですいません)
実はこの日本の感性のすばらしさに一番気付いているのが外国人だったりするのです(ブルーノタウトなど)
繰り返しになります、もう一度日本の美を、自由で多様性を認めるしなやかで力強い美を再発見したいです。
 
 

 

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プロフィール

mitsuo383

Author:mitsuo383
茨木市議会議員。
4期。

林英臣政経塾 塾頭

自民党茨木市支部幹事長

1971年4月11日生。
亥年。
AB型。
おひつじ座。
男。

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