2017/07/03
政治家として「新・芸術立国」でいく
私の政治の原点の一つに「芸術」がある。体育会系の人間が、ゴッホの絵に叩きのめされた。
絵など全く興味がなかった人間が、2002年の兵庫県立で初めて絵の前で立ち止まってしまったのだ。
いやはや、芸術には言葉にできない感動を沸き上がらせる力があるんだ。
あれから15年経つ。
芸術に人生の色々なことを教えてもらっている気がする。
作品によっては、どーでもいいものもあるが、それも含めて芸術に人間をぶつけられている。
ああ、政治家として芸術立国でいくんだと、これまでも思って来たし動いたきたが、うまくいかない歯がゆいことも沢山あった。なにせ、アートが好きな人は、私が所属している自民党を嫌っている人が多いから。
そんなことは関係ない。右でも左でも、何を言われようとも、私は政治の世界から、地域から「新・芸術立国」を目指したいという衝動が離れないのだ。現代の岡倉天心はいないのか。
明治の文明開化以来、西洋への憧れを抱いた日本は、正しい日本を養うことができたのか。
日本の基底文化は、決して排他的で、全体主義的ではないはずだ。
しなやかに、神も、仏も、自然もひっくるめた懐の深さを持っているはずだ。
今の政治の現場から、「新・芸術立国」を目指したい。
なにせ世界は東洋の時代が来る。800年続いた西洋文明が東洋文明と交代する時代が到来する
そんな時代に、西洋とも東洋とも融合と調和を発揮できる日本の役割が大きいはずなんだ。
本当は、2度も原爆を落とされ、平和憲法を当てがわれた日本こそ、芸術立国の意義があるのだ。
経済立国、技術立国、人材立国。それらのベースになる、深い所にある、我が国の養分となる「芸術」れ国を立てるのだ。
21世紀の新しい芸術立国。
新・芸術立国を、茨木の地から、何をしていったらいいか具体的には、実は行き詰まっているが、
それでも、フラッグを掲げたい。
行き詰まっているからこそ、フラッグを掲げたい。
「新・芸術立国」でいくのだ。
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